
私は21歳の時、玄米菜食を学びその後、お茶の水に自然医学会のクリニックがあり、そこでフードコンサルタントとして働きました。
そこには、癌や糖尿病、アレルギーなどをはじめ難病の人達が全国からたくさん来院してました。
何十年も前の話ですが、働くスタッフも昼食には玄米ご飯を炊いて食べていました。

ある時3歳の息子を友人宅に預けたましたところ、息子はそこで出されたご飯が玄米ではなかったので「これは何というご飯?」と聞いたそうです。
しかし、しかしです。
人間は弱いものです。
本当に良いものだと解っていても、子育てや仕事など忙しい生活になると手早くできたり、簡単で便利なことへ流されてしまうのです。
そして、あんなに大切だった事がどんどん遠くに行ってしまうのです。
いつもできる限り家族が喜ぶ美味しいごはんを手作りしていました。
そして、40代になると手軽なサプリメントが出てきましたので、作物には栄養が足りなくなっていると知り、その時々のよさそうな健康食品に頼るようになっていたのです。
50代になると畑を300坪借りて娘達と自然農法t的な野菜作りを十年間楽しんだのです。
*玄米ご飯は不思議です。
このブログを書き始めたので、何年かぶりに息子が届けてくれた玄米(分づき米は時々食べてましたが)を炊いてみました。
玄米ご飯をひとくち口に入れると自然と咀嚼が始まるのです。
(白米ご飯ですと飲み込むように食べてしまうのに)懐かしい味でした。
そしてなぜか次には「お肉が食べたくなくなる」のです。
お味噌汁とお漬物、煮物やお浸し位で満足なのです。

*玄米食の事で本当に一番感動した話を紹介します。
それは広島で、9歳の時原爆に遭われた娘さん(平賀佐和子さん)の経験です。
その娘さんは爆心地から2Km離れた小学校の校庭でまりつきをして遊んでいて被爆してしまいました。
全身大やけどをおいやっとの思いでお母さんの所にたどり着いたのです。
お母さんは必死に水をかけ病院に運びました。
なんとか一命はとりとめましたが全身の放射能による大やけどのためそのケロイドは切っても切っても盛り上がってきて、夏はそのケロイドからうじが湧いてきたそうです。
お母さんは佐和子さんが高校生になるまで鏡を一切見せなかったそうです。
こんな醜い顔でもう人生に楽しみがない。

残された生きる支えは一つだけです。
佐和子さんは勉強して研究者になる決心をして必死で勉強したそうです。
物理学を専攻して広島大学の工学部に合格。
入学して原爆の研究と放射能の研究生活に入りました。
優秀な成績で大学院に進み、昼は高校の物理の教師、夜は大学院での研究という生活でした。
その高校に化学の平賀先生が赴任してきました。
その先生はなんと玄米食をされていたのです。
そして佐和子さんを暇さえあれば山に山菜や薬草取りにつれ出したそうです。
平賀先生は、佐和子さんに「玄米を食べて治らない病気はない。玄米を食べれば原爆症だって乗り越えられる」と言って玄米食を勧めたのです。
佐和子さんはその言葉を信じて玄米を食べ始めました。
一口100〜200回噛んで食べたのです。
数週間後佐和子さんの身体に奇跡が起こりました。
あの焼けただれたケロイドの皮膚がポロポロポロポロと剥がれ落ちてきたのです。
また、髪の毛も眉毛も元通りに戻りました。
そして、平賀先生と結婚して、なんと7人の子供を産み育て上げたのです。
戦後、何もなくてもお米はあったのです。
そしてこんな奇跡が起こったんですね。
こんな動画もどうぞ